疫学レクチャー第2回 「よりよい」死のための予防医学: Lancet誌のGlobal Burden of Disease 2010特集号にみる日本人へのメッセージ

Lancet誌の2012年最後の号(Vol. 380,No. 9859)は「Global Burden of Disease Study 2010」研究の特集号でした。1990~2010年の20年間における世界の国・地域別の詳細な死因別死亡率,健康寿命(HALE),障害生存年数(YLD),障害調整生存年数(DALY)や各種危険因子の状況がどのように推移しているかがまとめられています。
記述的疫学データのひとつの集大成として非常に意義深い,貴重な資料と考えられますが,情報量が膨大なだけに,どこに注目し,どのように解釈すればよいのか——そこで今回は編集委員の上島弘嗣氏(滋賀医科大学 アジア疫学研究センター)に,この号の感想と,これらのデータから得られる日本人へのメッセージについてうかがいました。
「疫学レクチャー」では,素朴な疑問を感じる・ひっかかる・解釈に迷う……といった論文をとりあげ,その読みかたについて編集委員の先生に解説していただきます。
今回の文献
Lancet Vol. 380 No. 9859(Global Burden of Disease Study 2010特集号)の7本
  • 1) Wang H, et al. Age-specific and sex-specific mortality in 187 countries, 1970-2010: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2071-94. pubmed
  • 2) Lozano R, et al. Global and regional mortality from 235 causes of death for 20 age groups in 1990 and 2010: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2095-128. pubmed
  • 3) Salomon JA, et al. Common values in assessing health outcomes from disease and injury: disability weights measurement study for the Global Burden of Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2129-43. pubmed
  • 4) Salomon JA, et al. Healthy life expectancy for 187 countries, 1990-2010: a systematic analysis for the Global Burden Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2144-62. pubmed
  • 5) Vos T, et al. Years lived with disability (YLDs) for 1160 sequelae of 289 diseases and injuries 1990-2010: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2163-96. pubmed
  • 6) Murray CJ, et al. Disability-adjusted life years (DALYs) for 291 diseases and injuries in 21 regions, 1990-2010: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2197-223. pubmed
  • 7) Lim SS, et al. A comparative risk assessment of burden of disease and injury attributable to 67 risk factors and risk factor clusters in 21 regions, 1990-2010: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2010. Lancet. 2012; 380: 2224-60. pubmed

上島先生の解説
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今回の資料から,世界の国々のなかで日本は平均寿命がもっとも高い国の一つであること1, 4)や,日本人の健康寿命(healthy life expectancy)がもっとも長いこと4)があらためて確認できます。大変すばらしいことですが,日本のこうした状況自体はすでにご存知の方も多いと思います。そのほかには,どのようなことが読み取れるでしょうか。まずは,今回検討されているいくつかの健康指標をヒントに,全体的な傾向についてみてみましょう。


世界的なトレンドは,感染症→非感染性疾患,そして健康課題としての死亡→障害

1990年から2010年にかけて,全体的な死亡率は低下しており,その結果,平均寿命が増加しています(男性54.6歳→67.5歳,女性61.2歳→73.3歳)1)。これは,感染症や周産期の疾病,栄養失調,事故などによる若い世代の死亡率が大幅に低下したためですが,その一方で,癌,虚血性心疾患,脳卒中,糖尿病,慢性腎臓病などの非感染性疾患(non-communicable disease)による死亡率が増加しています2)。先進国だけでなく発展途上国でも同様の傾向がみられていることから,これは世界全体の大きなトレンドであるといえます2)

世界的に死亡率が下がるということは,高齢化が進むということでもあります。死因に占める各疾患の割合をみると,年齢が高くなるにしたがって循環器疾患による死亡の割合が大きくなることがわかります(図1)。このように循環器疾患は,世界的な疾病負荷(global burden of disease)における大きな課題の一つであるといえます。また,高齢化に伴い,おもに精神・行動障害,筋骨格疾患,糖尿病や内分泌疾患による障害生存年数(years lived with disability: YLD)が世界的に増加しており5),今後,このように死に至らないまでも障害を引き起こすことの多い疾患の負担を軽減するための対策が求められます。

日本を含む高所得のアジア・太平洋地域は,障害調整生存年数(disability-adjusted life years: DALY)が1990年から2010年にかけて増加しているだけでなく,DALYのうちYLDの占める割合がもっとも高い地域の一つです。これは,理想的な平均寿命からの健康的損失が増加してきていることや,死亡による損失が減る一方で障害による損失が増加していることを示しています。

図1
図12) (クリックで拡大):
年齢層ごとにみた,全死亡に占める各死因の割合(2010年,左: 男性,右:女性)。
年齢が高くなるにしたがって,循環器疾患()の割合が増加している。


トップランナーはつらい?

このように日本は,平均寿命の延伸,高齢化,感染症から非感染性疾患へのシフトといった世界的なトレンドの,いわばトップランナーであるといえます。また,少子高齢化が進行すれば人口はいずれ減少に転じますが,日本では2008年前後から総人口の継続的な減少が始まっています。ほかの国々は,先行する日本のデータを参考にして健康施策に生かすことも可能ですが,日本はいま,どの国もどの文化圏も経験したことのない人口減少期に突入し,新たに生じる課題への対応を自分たちで模索しなければならない状況にあるのです。

現在の平均寿命や健康寿命をこれからも維持し,さらに改善していくためには,われわれ医療に携わるものはどうすべきなのでしょうか。


予防医学のターゲットは,病気からよりよい生きかた・死にかたへ

図1をみると,高齢化を迎えた世界において,循環器疾患対策が大きな課題であることはたしかです。しかし,このような疫学データをみるとき,人は皆かならず死ぬという大原則を忘れてはいけません。すべての人が何らかの原因でかならず死を迎える以上,「死の予防」という概念はありえない。どんなにがんばっても,多くの人は100歳前後までに死を迎えます。図1はあくまで全死亡に対する割合を示したものですから,循環器疾患による死亡()を抑制することができたとしても,そのぶん,感染症()など別の理由による死亡が増えるだけですね。

これまでの予防医学では,「病気をなくす」という考えかたが先に立っていました。しかし,感染症などとは異なり,癌の発生はそもそも老化のプロセスの一環ですし,加齢に伴う血管の老化も避けられないため,癌や心疾患,脳卒中といった病気を完全にゼロにすることはできません。現実的な対策としては,発症する年齢をできるだけ遅らせるしかないのです。

もちろん,脳卒中や心疾患,とくに若年での発症を少なくするための努力は今後も大切ですし,その余地もまだあります。しかし,世界でいちばん「進んだ」疾病構造をもち,実質的に世界一の平均寿命を維持しているいまの日本において,予防医学のターゲットは,病気そのものから,よりよい生きかたや死にかたへとシフトしつつあると思うのです。そこで多くの人が望むのは,単に寿命を延ばすことではなく,なるべく長く,人の手を借りずに自分のことが自分でできる状態で元気に過ごすということではないでしょうか。

これはつまり健康寿命を延ばしていくという考えかたですが,そこには医学だけでは決して解決できない課題も待ち受けています。


医療技術の進歩や社会の変化による新たな課題——身体と心と

たとえば,医療の進歩により,昔であれば亡くなっていたような脳卒中患者が助かり,まひなどの障害が残ることが多くなっています。予防医学として単に発症するかどうかだけを扱うのではなく,実際に発症してしまう人もいるということを前提に,後遺症が残ったときに患者や家族に何ができるかなど,病気になったその先まで見据えた大局的な健康施策をあらためて考える必要があると思います。

また,社会的な孤立の問題もあります。Global Burden of Disease 2010のデータでも,精神・行動障害が障害生存年数(YLD)に大きな影響をもたらしていることが指摘されましたが5),現在の日本では,進む長寿化の陰で,若い世代だけでなく,一人暮らしの高齢者の抑うつ症状や自殺といった精神的な健康障害が課題となっています。この背景として,核家族化により,昔は家庭のなかで大切にされてきた高齢者の受け皿がだんだんと家庭から社会に変わってきたことや,地域社会でのつながりが以前よりも希薄になっていることが挙げられると思います。また,日本人は働きすぎとよくいわれますが,身体的な疲労や不規則な生活習慣の問題だけでなく,趣味など余暇の活動を楽しむ余裕がなかったり,人間関係が会社中心になりがちだったりといった状況が,健康に長期的な影響を及ぼしている面もあると思います。とくに男性では,定年後は人と接する場を見いだせず,家にこもってしまうようなケースもよく見受けられます。


仕事以外の時間も大切にし,家庭や地域に回帰する生きかた

これは現役のときの私自身もなかなか達成できていなかったことですが,あまり仕事だけにエネルギーをつぎこむのではなく,人とのかかわりあいを大切にし,自然や文化を楽しめる時間ももてるような生きかた,働きかたができたほうがよいと思うのです。そのことが,失われつつある家庭や地域でのつながりに立ち戻り,どんな年齢の人でもいきいきと生活できるコミュニティづくりにつながっていくのではないでしょうか。

今後,医療に限らずすべての分野で,人口減少を迎えるこれからの新しい時代の形にあわせた社会づくりが求められます。これまで成長だけを経験してきた先進国の先頭をきって「下り坂」に入る日本ですが,経済成長とは違った意味での豊かな国をつくることはできるはずです。


予防医学の考えかたを見つめ直し,世界に示すことのできるモデルづくりを

このようにいま,予防医学の考えかたそのものを根本から見つめ直し,さらにそれをどう実践すべきかをあらためて考えなければいけないときにきています。これが,今回のGlobal Burden of Disease 2010のデータから読み取れるひとつのメッセージだと思います。日本はトップランナーとして,率先してこれらの課題に取り組み,世界に例として示すことのできるモデルをつくる役割を求められています。行政にも,広い視点に立った健康施策を決定するための客観的な指標として,このようなデータの有効活用を期待したいと思います。


<用語解説>

健康寿命(healthy life expectancy: HALE)
健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる年数。2010年の全世界のHALEは男性58.3歳,女性61.8歳で,日本ではそれぞれ68.8歳,71.7歳であった4)

障害生存年数(years lived with disability: YLD)
理想的ではない健康状態で過ごす年数。存命中の日常生活に対する障害や疾病の負担を表している。高齢化や,発症により障害が残るものの死亡には直結しないような疾患の増加により,YLDが増加する。全世界のYLDに占める割合が高い疾患は精神・行動障害,筋骨格障害,および糖尿病・内分泌疾患で,1990年から2010年にかけて大きな変化はなかった5)

損失生存年数(years life lost: YLL)
理想的な平均余命から,早期死亡によって失われた年数の合計。多くの国・地域で,平均余命の上昇に伴ってYLLsも増加している4)。全世界のYLLの原因疾患をみると,1990年には1位が下気道感染症,2位が下痢,3位が早期出生合併症であったが,2010年にはそれぞれ虚血性心疾患,下気道感染症,脳卒中となり,循環器疾患による損失が増加している2)

障害調整生存年数(disability-adjusted living years: DALY)
YLDとYLLの合計。疾病負荷の指標の一つで,理想的な平均余命からの,死亡または障害による質的乖離年数を示す。1990年には全世界のDALYの47%が感染症・周産期の疾病・栄養失調,43%が非感染性疾患であったが,2010年にはそれぞれ35%,54%となり,非感染性疾患による負担が増加している6)

参考資料: 健康日本21 総論参考資料
http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/s1.html
図



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